歴史
大井ダムの建設
急増する電力の供給源として木曽川水系に着目。
遠く関西地方の産業を支えた大井発電所の電力。
日本に初めて電気による明かりが点いたのは明治11年。
当時は石炭による火力発電で電気を生産していましたが、その発電量で急激に成長する近代産業を支えきれず、豊富な水力を活用した水力発電の開発が急務となっていました。
福沢桃介は、木曽川水系の可能性に着目、賤母発電所を皮切りに、次々と発電所を建設しました。
周囲の山々の保水力もあり水量が豊富で水流も早い木曽川は、水力発電には最適な河川です。桃介は、ここから生まれる電気を関西方面に送電する計画のもと、大正10年に大井発電所の工事を着工。
洪水による決壊、関東大震災など数々の困難を経て、大正13年に長さ約276m、高さ約53mの巨大なダム堰堤と、大井発電所が完成。その電力は総延長約220kmの送電線で関西地方へと送電され、近代の産業を支えました。
これらの歴史的偉業が、後世に継承する価値があると認められ、2007(平成19)年に経済産業省の近代化産業遺産に認定。90年以上たった現在でも稼働し、昭和58年に建設された新大井発電所と合わせて最大出力8万4,000キロワットの電力を供給し続けています。
近代化産業遺産とは?
日本の産業の近代化に貢献した建築物、機械、文書などを、「近代化産業遺産」として経済産業大臣が認定し、それらの価値を継承していく経済産業省の取り組み。遺産に認定されることで、歴史的価値が顕在化され、地域の観光資源として活性化の一助となることが期待される。
設備
ダムの概要
大井ダム
高さ:約53m
長さ :約275m
大井発電所
認可出力 52,000kw
(建設当時42,900kw)
使用水量 139.13㎥/s
大正13年12月完成
恵那峡
木曽川の急流が静謐なダム湖に
大正時代から人々を魅了し続ける渓谷美。
大井ダムの建設によって生まれた人造湖周辺は、ダム建設以前の大正9年、地理学者の志賀重昻によって恵那峡と名付けられた景勝地でした。
奇岩怪石の数々、河岸の緑が織りなす四季の風景は当時から学者や文人の心も動かす美しさでした。
急流がせき止められ、満々と水を湛えた静かな湖となった恵那峡は、昭和29年恵那峡県立自然公園に指定されて以来多くの観光客で賑わい、ダム湖を周遊する遊覧船からは、急流の様子を忍ばせる河岸の造形が楽しめます。